こんな実験がある。ボタンを押すと餌が出る装置を与える。食べた後や毎回出るとわかると興味をなくすが、出たり出なかったりすると猿は懸命に押すそうだ。それはもう他の場所に行って餌を探した方が良いくらいに確率が下がっても。
パチンコの揶揄に使われるこの実験が本当にあったかは置いておいて、思い当たる節があるサポーターも多いだろう。
こんな実験もある。サッカーファンが敗北で味わう苦痛は勝利の喜びの2倍にもなるという。長い目で見れば「明らかに非合理的」。そして「敗北の経験」は次の試合における「勝利の予想」になんら影響を与えない、らしい。幸福を得るためと思われているがむしろサポーターはそれ以上のダメージを受けているとサッカーの母国の大学は締めくくった。
サポーターになる。そこに合理的なものはない
なぜこの極東の我々は地元でもないクラブを応援するようになったのか。理由は人それぞれだろう。
W杯を見た。たまたま海外サッカーが映った。イケメンの選手がいた。見ていた時期がすごく強かった。ユニフォームの色が好き。
押したボタンから出てきたものは人それぞれだったが、それでも我々はのめり込んだ。いつしか出てくるものは皆同じになっていた。「チームの勝利」。それこそが唯一、我々の餌になる。
しかし熱狂は一時で去り、イケメン選手は時とともに移籍し、過去の強さも失われる。
そしてなにより、敗北に縁のないクラブなど存在しない。
UEFAチャンピオンズリーグを3連覇しているレアル・マドリードでさえ、その間2度もリーグの覇権を宿敵バルセロナに譲り、今季も苦しんでいる。
かつてイタリアを、欧州を牽引したミラノ勢は凋落し、今ではCL権すら満足に取れない。
イングランドでは「マンチェスターの強い方」が入れ替わり、ロンドンは未だにその色が決まらない。
ドイツの絶対王者は黄黒のゲーゲンプレスに沈み、現監督に昨季自らを打ち破った監督を据えた。
応援する理由は人それぞれでも、いつしか応援する目的は一つになっていた。だがそれが常に出てくるほど、このボタンは甘くない。勝利は誰にとっても、いつでも、遠い。
何度も我々はボタンから遠ざかろうとする。深夜の寝ぼけ眼を擦りながら声を上げる
「二度と見ない」
「解任しろ」
「奴はベンチに置け」
「もう寝る」
「こんなチーム、最悪だ」
しかし残念なことにサポーターとは、世界で一番諦めるのが下手な生き物である。
サポーターとは非常に愚かな生き物である。何をどうしたところで、全ての試合に勝つことはできないのに、全ての試合に勝つことを望み、全ての試合で勝てないとその気持ちは深く沈む。
愚かなのはわかっていてもそれが我々である。愚の骨頂と言われても。
だが愚かだからこそ信じられるものもある。
どれだけチーム状況が悪くても、どれだけ相手が強くても、どれだけ負けに近くても、世界で唯一勝利を信じられるのがサポーターである。
最早それは愚直である。
だからこそ我々は今日もボタンを押す。 各々のスマホの、タブレットの、PCの、TVの。今日こそは出てくる、と。 信じてやまないチームの、願ってやまない勝利が。
最強のチームはどこかなどわからない。だがそれでも、どんなに弱くても、どんなに失望を味わっても、どんなに負けても。どんなチームと比べようと自分のチームが最高だと言える。
それが唯一の資格だろう。我々がサポーターと名乗る、唯一の資格だろう。
~おしまい~
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